特集「看護師としてのやりがいや可能性」

2021/09/11
特集「看護師としてのやりがいや可能性」

公益社社団法人慈愛会 今村総合病院

福元優一(ふくもと ゆういち)


Ⅰ. 私が看護師となるまで

私は今年で46歳であるが、看護師となって18年目です。29歳から看護師となりました。高校卒業してから、一度は臨床検査技師を目指し現在の熊本保健科学大学に入学するも、留年、そして2年で中退と言う結果となりました。当時は、バブルがはじけてまだ間もなかったため、親からは「バブルもはじけたけど、あんたもはじけた」と言われたものでした。

 それから、フラフラと始めた警備の仕事でしたが、バイトから社員になり、社員から主任になり、主任から係長になりで、気がついたら100人の部下を指揮する立場になっていました。25歳の時は、当時熊本であった国体の総警備隊長を任され、SPと連携して皇族の警護をバックアップしたりしていました。警備の方はうまくいき、ある富山での警備隊長としてオファーがあったほどです。

しかし、やり切った私は体調を崩し、病院に運ばれてしまいました。しかし、ここでの看護の触れあいこそが、私の人生を変えるものでした。今までも交通事故や、全身火傷で入院したことがあったのですが、部下の男性スタッフが看護学校を目指していることを聞いたばかりであった事もそう思わせたのかもしれません。「そう言えば医療が昔は好きで目指してたな~」と点滴を受けながら、「こういうのもアリかな」と感じるようになりました。

仕事をしながら勉強を再開し、学費を貯め半年で目途が立ちました。「もしこれで学校に合格したらこの道を頑張ろう。ダメなら(滋賀県の本社に誘いもあったので)このまま仕事を続けよう」とこれからの人生をかけて見ました。結婚適齢期と言われていた時代の年齢でありましたが、合格がわかった時からは切り替え早く25歳から学生に戻りました。川内医師会立の准看学校を経て、4年かけ正看護師になりました。

今まで9割男性の職場でしたが、9割女性の職場となり、今ほどの男性看護師もいない時代でしたし、29歳の新人を教える先輩が、25歳と年下であったため、先輩も、私も慣れるまでいろいろ大変な日々を過ごし、出来の悪い私に指導してくれた当時の先輩には感謝しています。

前置きが長くなりましたが、こうして私は看護師となり、周りの支えで成長してきました。

Ⅱ. 現在の役割

私は今、大きく分けて5つの役割を持っています。

1. 看護師(後輩への教育や学生への臨床指導を主に担当)

2. 看護学校の臨時講師(現在は循環器を担当)

3. 看護連盟青年部メンバー

4. 予備自衛官(衛生隊)

5. 家庭の父親(妻と子供2人) です。

1. 私の現在の部署は4月から手術室です。入職してからずっと同じ病院で、同期には、1度も異動していない職員がいるなか、私は今回で9回目の異動となりました(1度も希望の異動はないです)。異動するからいいとか、ダメだとかではなく、必要とされるのであれば、異動を受け入れると言うスタンスです。できることを精一杯頑張るという気持ちです。異動は大変ですが、その度に新たな発見や学習があります。そういうことに遭遇するときに「お、自分はまだまだいける」と考えるようにしています。

2. 40歳の時に、当時の看護部長から声がかかり、大阪である看護学校の専任教員講習会に10カ月かけて研修してきました。当時の私は教育に興味がありましたが、子供もまだ2歳で、家庭の大黒柱として長い研修で家を空け、正直その間の給料も下がるし・・・と考える気持ちもありました。しかし、ここで断ったら二度と私に声がかかることはないだろうとも考え、飛び込んでみようと踏み出しました。結果的に、研修に言って本当に良かったと思っています。

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なぜかと言うと、当時看護師になって10年経ち、新人教育の中心になって活動していましたので、教育とは何なのかをわかったつもりでいた私の鼻を見事にへし折られたからです。教育とは何なのか、看護とは何なのか、全国でも指折りの講師の先生によって本当に思い知らされました。私たちはよく学生や、後輩に「その根拠(エビデンス)は?」とかよく聞くと思います。私は、今までの経験からが中心で、その教育方法の根拠を知らずに教えていたのだと思い知りました。看護についてもたくさんの論文を読んだりして、改めてナイチンゲールはすごいとか、看護の奥深さを知ることが出来ました。この講習会は私の人生にとっても、かなりの影響を受ける内容でした。それをきっかけに、今は臨時講師の依頼もあり現在に至っています。

3. これのきっかけは、同じ病院内の仲の良い師長から「1年でいいから参加してみない」と言う誘いからでした。看護連盟って何?協会とは何が違うの?とか思っている看護師も多いと思います。私も何となく違いは分かるけど活動って何をしているのだろう。青年部とあるけど、自分は壮年だけど、とか色々考えて見たけど「1年だし」と入ってみて今年で3年目です。結果的には、色々なプラスな考えのメンバーや活動であり、いい刺激を受けて活動も楽しいです。何より、国会議員と直接話ができることはかなりの刺激でした。心配していた壮年の問題も、壮年のメンバーが多かったです。

4. これが皆さんは、あまり聞いたことがないと思います。これは、元自衛隊か、技能を持った人が予備自衛官の採用試験を受けて合格した人がなれます。予備自衛官は、普段はそれぞれの本業を持ちながら、有事の際には防衛招集・災害招集に応じて自衛官として任務に就く非常勤の特別職国家公務員です。災害派遣と聞いたらDMATを思い浮かべることがあると思いますが、こういう制度があり、いざという時は自衛官として自分の能力を活かす事が出来ます。制度の詳しい内容はインターネットにも色々あるので、興味がある方は覗いてみてください。私は、2011年の東日本大震災をきっかけに、義援金だけでなくて自分に何かできることは無いだろうかと考えていたところ、知人からの誘いもあり、2012年からこの制度に参加しています。訓練には、実弾を使う武器訓練もあります。しかし、それよりは志が高いメンバー、そして中に入ってみないとわからない自衛隊の世界もいい刺激となっています。私は、最初の写真のように体格が大きい方なので、そういう人しか入れないと思うかもしれませんが、Drや薬剤師、理学療法士、レントゲン技師等の職種もおり、そして小柄な女性メンバーもいます。

5. 家族や子供達とのかかわりも、色々な発見や面白い出来事があり、日々いい刺激を受けています。子育ても手伝うのでなく協力して行っています。教育を勉強してきたのに、身内の教育は中々難しいですが試行錯誤して奮闘しています。

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 Ⅲ. 最後に

いろいろな人との出会いがあり、そこでの刺激や学びがあります。その組織に飛び込まないと見えない世界もあります。いい流れはいつかやってくる、その流れをつかむには自分の準備(飛び込む勇気)も必要と思います。私にせっかく声をかけてくれた上司や知人を断るとその流れをつかむことは出来なくなると思います。

よく、「類は友を呼ぶ」といいます。愉快で楽しいプラスの思考を持ち生活をしていると、そこには良いメンバーや良い行いが集まってくると思います。逆に、悪口ばかりでネガティブで不快な思考の生活を送るとそこには、そういうメンバーが集まって不快な思考や行いが集まるものだと思います。もちろん、楽観的と言っているわけではありません。物事に対して反対する意見は大事です。結果的にプラスに働くからです。しかしそれが「したくないから、めんどくさいから」という思考だとそれは違ってきます。

その時その時を大事に生きると、人生に無駄はないと思います。色々な失敗や経験が今の自分を作っていると思うからです。イチローが「遠回りすることが一番の近道」と言っているのを聞き、腑に落ちました。

私はこれからも、自分でできる能力を活かしながらプラスの考えをもつ研修や、組織や、メンバーとこれかも楽しく頑張っていきたいです。

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<Profile>

福元優一(ふくもと ゆういち)

1975年 鹿児島鹿屋生まれ。日置市伊集院町在住。川内市医師会立川内看護専門学校で准看護師となり、鹿児島中央看護専門学校で看護師となる。2012年より予備自衛官(陸上自衛隊、衛生隊)。2016年大阪で専任教員講習会にて資格取得。現在、手術室の副師長として勤務しながら、看護学校非常勤講師や、看護連盟の活動に参加。 珠算・暗算1級。 空手初段。スキューバダイビングライセンス。錦江湾遠泳大会3回出場。趣味:旅行。特技:GSのバイトの経験から、プロ級の洗車。

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